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ごくんの旅日記

迷ったらワクワクする方へ!旅が好きです。

マイナス因子をどう捉えるか

こんばんは(^^)

スネが真っ先に日焼けして、皮がペリペリと剥けて

すね毛と相まって誠に汚ならしい足になってます。

ごくんです。

 

今回は僕が学んだカンボジアの過去を少しだけ

皆さんにもお伝えしたいと思います。

 

僕は昨日トゥールスレン虐殺博物館

(元 強制収容所)へ行って来ました。

 

文字の通り、全くハッピーな場所ではありません。

(こういった内容は、文字や写真でも苦手だという

方は控えて下さい。僕も実際気が滅入りました。)

 

 

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こちら、元はと言えば元気な生徒たちが通う

学校の校舎だったそうです。(確か高校)

 

ですが1975年頃から独裁者ポルポト率いる

クメール ルージュ(共産党支持派)によりS-21

(この収容所の通称)として転用されてしまいます。

 

よく見てみると2階は通気口が残っていますが
1階の通気口は塞がれています。これは拷問者
の声が外に漏れない為に塞いだ、とか。

 

 

※入場料とは別に、音声ガイドが3ドルで付いて

くるので(もちろん日本語あり)これは理解を

深める為には必要なものでしたね。

 

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このS-21に連行されてくるのは

ポルポト政権にとって都合がよくない人々

(知識人だったり、その家族等)です。

 

当時のクメールルージュは

革命に学問は不要という方針を打ち出していた?

 

反革命分子になり得る人々は一掃。

雑草は根っこから引っこ抜くという教え。

 

 

毎日、激しい拷問と尋問が繰り返されたそうです。

拷問中に声を出したら更にむち打ちや電気ショック

を流すといったような、非道な規律もあったとか。

 

 

無罪の人々が収容され、やってもいない罪を

創作的に自白させられ、処刑されていく。

 

自殺することさえ許されず、別の棟では

2階3階部分が飛び降り防止として有刺鉄線で

覆われていたりもしました。

 

勝手に死なれると、担当の看守が処刑の対象に

なることも多くあったそうです。

 

 

そして一番惨たらしく、非人道的だと

感じたのはその看守たちの多くは

読み書きの出来ない10代の青少年たちだった

ということです。この子たちも生きる為には

従う、それしか選択肢はなかったのです。

 

汚れのない子どもたちを政権下の兵士として

使い、従っていれば自分たちは生きていられる

 

と強く思い込ませたそうです。

 

それだけを信じ、心を失くして、行為だけを

続け、明日を願ったにも関わらず、そのほとんどの

若き看守たちも最終的には処刑されていたのです。

 

僕は音声ガイドを聴きながら

その建物や写真たちを眺めながら

本当に、本当に、胸が痛いと感じていました。

 

 

10数km離れた場所に

キリングフィールドという処刑場があります。

こちらの方が有名な場所かもしれません。

 

多くの犠牲者はそのキリングフィールドにて

処刑されていたそうです。

 

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積み上げられたレンガにより分けられた独房。

空気はどこか重たく感じました。

 

 

S-21には約4年間で12,000~20,000人?が

収容され、ポルポト政権が終わりを迎えた当時

生き残っていたのはたったの7人だけだった

とされているそうです。

(彼らは絵描きや大工、整備士、エンジニア等

専門知識を買われ、ポルポト政権が技術者と

して使える、と判断した為殺されずに済んだそう)

 

カンボジア全土で見れば約300万人が犠牲に

なったポルポト政権による虐殺の過去。

 

当時の約3分の1の国民が亡くなったそうです。

 

3分の1ですよ?

 

ポルポト政権が終わりを迎え、カンボジア

いわゆる「平和」になってからまだ20年程度。

 

何気なく会話を交わした屋台の元気なおばさんも

トゥクトゥクのおじさんも宿のお兄さんも。

 

それぞれの過去があるけど今は僕に

笑って話しかけてくれている。それも事実。

 

 

僕は「ポルポトの虐殺」というワードは

知っていたにも関わらず、その内側を知る機会

はなく、知ろうとも思っていなかったんです。

 

昨日、僕は僕を恥ずかしいと思いました。

 

僕は、ですよ。これは押し付けでも

なんでもありません。そんな過去を持った

カンボジアに入って、2週間が経ちました。

 

見て、食べて、聞いて、感じて、やっと僕は

自分に関係のあるものとして捉えられたんです。

 

その期間も人それぞれだし正解はないと思う!

 

 

感じ方、捉え方、伝え方は当然違うと

思うけど、僕のブログを読んでくれた人には

僕が聞いたもの、見たものを踏まえた上での

言葉でしか伝えられないから多少違う情報が

あっても許して下さい。僕のこれをきっかけに自分

でも気になることがあったら調べてみて下さい。

 

カンボジアに来る予定がある人とか!

カンボジアアンコールワット行ってみたいとか!

そんな思いがある人は、この過去を知っているか

知らないか、とっても大きな差があると思います。

 

カンボジア人のゆったりで温厚な性格とか

女の子の愛嬌のよさとか!

綺麗な海があって、都心は都心で栄えてきては

いるけど、まだまだ貧富の差は激しいとことか!

 

僕はカンボジアが好き。今、そう思う!

 

 

そして!!発展は、し続けているんだと思う!

 

JICA隊員のみんなのおかげで僕は沢山のクマエ

(カンボジア人)と関わらせてもらえた!!

 

本当に感謝しかない!!みんなオークン

 

何事においても同じことだと思うんですけど

事実を知ってからの行動がとても大切ですよね!

 

所詮、人間の脳は次の日には記憶が薄まるし

強く抱いていた感情も半減していくし!

 

それの積み重ねで「風化」があるんだろうし。

 

楽しいこと、自分の都合のいいことだけを

残していくのが人間の性や!これは避けられん!

 

 

人間らしさ、で言えばポルポト

そこを追求し続けることができてしまった人。

 

1人では成し得なかった愚行だと思うし

周りの環境も踏まえて、ポルポトという人間。

 

 

僕はこの旅って僕自身が楽しむ為に、っての

が一番のつもりだったんだけど。

 

結局、僕の周りの環境も踏まえて僕自身

って言うなら僕の周りの大切な人たち=僕

だからみんなも何か感じてくれてるはず!!

 

確実に僕の「周りの人」はこの旅で増えていって

いるし、昨日出会った人が今後めちゃめちゃ

大切なことを教えてくれる人かもしれないし

本当にそーゆうこと考えるとワクワクします。

 

てか誰かにとっての僕もその人の一部ってことか!

いやぁ〜果てしない。

 

単純なんだ、許してくれ。

 

 

そんな感じで、僕自身を含めた大切な人たちの

気持ちを何か意味のあるものに変えたくて

自分の中で「風化」させたくなくて最近はメモ

を取るようにしています。

 

というか、このブログがその1つでもあるのか!

 

 

まとめに入ろう!!

僕は日本人として生まれて!最高な家族のもとに

生まれて最高にハッピーな毎日を過ごしてきた!

もちろん友達や恋人にも恵まれてきた!

 

これって僕にとって当たり前だし、この生き方しか

知らないんだけど僕以外は感じれないことだよね。

 

でも僕の周りの人たち=僕なら

なんとなく同じこと思ってくれてる、てこと?

 

訳分からなくなるけど本当にそうだといいなあ。

 

尊敬できる立派な人から聞くのか

ただの旅してる友達から聞くのか

日々の仕事で目一杯になってるときに聞くのか

外に目を向け少し余裕のあるときに聞くのか

 

伝わり方って、すげー大事だ!!

 

でも、もちろんわかってる。

所詮他人から聞いたものは10分の1すら記憶に

残っていかないこと!だからここでは伝える側

として僕は100で伝えさせてくれ!!

 

たとえ1でも2でもいいから僕が大切に

思っている人にはきっと何か伝わると思ってる!

 

 

凄く幸せなことだよ。

中々こーいう風に「生きていること」に感謝できる

機会はないからトゥールスレンに訪れて良かった

と強く思っています。

 

もちろん、最後に施設の中央にある

慰霊碑には手を合わせましたよ。

 

僕は考えたことを自由に行動に移せる環境の今

を生きてる。これが事実。

 

ありがとう。

僕は僕なりの気持ちを3419字にまとめてみた!

 

つーことで、まだまだカンボジアを楽しみますよ!

今週末はシェムリアップに移動するし〜!

 

っしゃー!

みんなでご飯いってくるぜー(^^)